こんにちは、さわです。
記事をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、顧客理解について書いてみようと思います。
さて、皆さまは、「顧客視点に立て」とか「お客さんのことを考えろ」なんて言われた経験はないでしょうか?
僕は、師匠(と勝手に思っている)元上司に、「顧客理解が甘い」とミーティングの度に突っ込まれていました。
「顧客理解」「お客さんに向き合う」、なんて書くと、ひょっとすると、きれい事のように見えてしまう方がいるかもしれません。
あるいは「顧客理解」が大切なのはわかっているけど、どうにも解像度があがらない、そんなお悩みを抱えている方もいるかもしれません。
上司に厳しくフィードバックされ、もがきながらアウトプットを繰り返す中で気づいたのは、お笑い芸人としての経験が、顧客理解に対して相性がいい、ということでした。
ですのでこの記事では、お笑い芸人の観点で、「顧客理解」とはなんなのか?そして理解を深めるための肝について筆を進めてみます。
顧客理解とは?
お笑い芸人の観点で、顧客理解を分析してみます。
まず顧客理解。なんで大切なんでしょうか?
あまりにもシンプルすぎますが、「ウケるために絶対に必要だから」です。
掘り下げていきます。
とても当たり前ですが、お客さんがいないと、笑いは生まれません。
どんなにずば抜けたセンスを持っていたとしても、そこにお客さんがいなければ、笑いは生まれないわけです。
では、
神から授かったセンスを持った芸人であれば、お客さんさえいれば、確実に笑いが取れるのでしょうか?
僕はそうは思いません。
極端な例ですが、
宇宙人との1st コンタクトが起こったとします。
政府からの特命で、神から授かったセンスをもった芸人に、宇宙人を笑わせろ、という特命が下ったとします。
そこで、その芸人は、どこでやっても爆笑の取れる鉄板ネタを宇宙人に披露をしました。
さて、ウケるでしょうか?(ただし日本語は通じるものとする)
大多数の方が、ウケないと判断するのではないでしょうか。
なぜか?
それは宇宙人の文化が、おそらく地球人の文化と違っている。とか
そもそも宇宙人に「笑い」という完成がない。とか
色々理由は出てくると思いますが、まぁなんとなくウケなそう。ここは一致する化と思います。
別の例を引きます。
過去に松本人志さんが、電波少年というテレビ番組で、アメリカ人を爆笑させるネタを作る、みたいな企画をやっていました。
僕はテレビを見ながら「松ちゃんは外国人向けに、どんなとんでもないものを表現するのだろうか。何かとんでもない化学反応が起きて、見たことのない笑いの扉を開くのではないか」なんてワクワクしながら待ち構えていました。
蓋を開けてみると、
彼は、むしろ極めてベタで安全なコンテンツを仕上げました。
確か番組中に「彼らはこのくらいが丁度いい」というような趣旨の話をしていたことを記憶しています。
要は松本人志さんは、「センスをあえて落とした」わけです。※1
なぜでしょうか?
日本の文脈で理解されるような、シュールな尖った笑いは、アメリカ人には伝わらない=ウケないと判断したからだと考えられます。
アメリカ人にウケにいくというゴールに向かって、極めて真摯に顧客を理解しにいった、と言い換えられるかと思います。
天才、と呼ばれていた松本人志さんですら、自分の才覚をそのままもっていくのではなく、顧客にマッチさせにいったという事例です。
つまり、お笑いにおいて、お客さんが何を面白いと思うのかのイメージを持っていないと、ネタを作って笑いを取ることは極めて難しい、ということです。
お笑いにおける「顧客理解」は「ウケるために絶対に必要」という議論は納得いただけたでしょうか。
このお笑いの観点での「顧客理解」をビジネスでも適応できるように抽象化してみます。
笑いのプロセスを図式化してみる
笑いが起こるメカニズムを時系列で整理すると、ネタ→受け手(の解釈)→笑い、となります。
この図式に置いて、ネタと受け手は、定性的な変数で、笑いは定量的な変数です。
笑いを無理やり数字にしたときに、100笑い取りたいとします。
上記の松本さんの例をひくのであれば、100を取るために、受け手=アメリカ人の変数を加味した上で、普段のネタでは100笑いが取れないと判断して、ネタを変質させました。
要は決まった笑いの量を取りに行くためには、受け手の変数を加味する必要があるということです。
ネタ→アメリカ人のお客さん→100笑い
ネタ→日本人のお客さん→100笑い
という図式を引いたときに、提供されているネタが異なるのはイメージが付きやすのではないかと思います。
これをひっくり返したものが作成のプロセスになるわけですが、
100笑い→アメリカ人のお客さん→アメリカ人向けのネタA
100笑い→日本人のお客さん→日本人向けのネタA
のようになります。
さて、ここで、超日本通のアメリカ人がお客さんだった場合はどうでしょう。
日本の文化は把握しているから、笑いの文脈も一致する?それともコミュニケーションはアメリカ的なので、笑いは届かない?・・・などなど色々と仮説が生まれてくるかと思います。
100笑い→超日本通のアメリカ人がお客さん→ネタX
と出発点となるアウトプットが変わることが理解いただけるかと思います。
このネタが変化していく過程に、顧客への理解があるわけです。
議論を一般化すると
以上の整理のもとに、顧客理解を抽象化してみます。
顧客理解とは、
提供者の発信と顧客の反応の間にある、断絶/ブラックボックスを埋めに行く行為
と定義でき、
それは常に、反応から逆算された局所にのみ適応される
と言えるかと思います。
まずは、
「提供者の発信と顧客の反応の間にある、断絶/ブラックボックスを埋めにいく行為」
をもう少し噛み砕いてみます。
松本人志さんは、天才的な嗅覚で、「アメリカ人にウケる」を嗅ぎ分けました。
彼には何が見えていたのでしょうか?
笑いに値する、「アメリカ人」の中の「理由」が見えていたと推測します。
アメリカ人は◯◯だから笑った。
これが見えていた。
逆に、アメリカ人は、日本の笑いの文脈に対して理解がないため、ダウンタウンが作り上げた笑いの文脈をぶつけても初見で理解するのは難しい、だから笑わないだろう。
アメリカ人は◯◯だから笑わないだろう。
これも見えていなはずです。
つまり、「提供者の発信と顧客の反応の間にある、断絶/ブラックボックスを埋めにいく行為」とは、反応する/しない(笑う/笑わない)の背後にあるお客さんの中の、「◯◯だから」を埋めにいく行為と言い換えられます。
反応からの逆算こそが大切
「反応から逆算された局所にのみ適応される」とはどういうことでしょうか?
例えば、あなたがお菓子メーカーの商品企画の担当者であるとイメージして下さい。
30代の男性をターゲットに、「お菓子」の購買を広げられるような商品のコンセプトを考えています。
あなたは、モニターとして集まってもらった男性に対して、縄文土器に関する質疑応答を中心にヒアリングを実施したとします。
それぞれの男性の縄文土器に対する関心度、知識、人生における重要度がわかったとします。
さて、これは顧客理解と言えるのでしょうか。
縄文土器に対する顧客の認識が分かることで、いい商品が生まれるのであれば、顧客理解と言えますが、なかなか難しいと思います。
ちょっと例えがいけてないですが、
要は、お客さんのすべてを理解していたとしても、こちらが提供するものに対して寄与しない「すべて」であれば、それは「顧客理解」とは言えない、ということです。
逆に言うと、お客さんの理解が一部だとしても、こちらの提供するものに対して、大きく影響を与えるのであれば、それは「顧客理解」以外の何物でもありません。
これが「反応から逆算された局所にのみ適応される」の意です。
顧客が主語になってます?
改めて噛み砕いて整理すると、
顧客理解とは、
反応から逆算して、お客さんの「◯◯だから」を探しにいく行為
と言い換えられます。
うーん、とても当たり前です。
しかしこの当たり前、結構出来ていない印象です。
例えば、セールスマーケに置いて、「どうサービスを売るか」「どうリード獲得するか」が主題になったりします。
少し注意深く読んで頂くとわかりますが、主語がサービス提供者になっています。
私達がこのサービスをどう売るか。
私達がどのようにしてリードを獲得するか。
神経質に言葉尻を取っているようにも見えます。
「文字ズラはそうだとしても、私達は顧客のことを考えてアクションを起こしている」。
そんなことを言う方も多いと思いますし、それが嘘だとは思いません。
が、しかし、主語の捉え方を間違うだけで、仮定される「◯◯だから」が大きく変わります。
私達は(サービス提供者は)このサービスをどう売るか。
私達は(顧客は)こうしたらサービスを買う。
この比較です。
ここで出力される「◯◯だから」が全く異なることに気づけますでしょうか。
前者には顧客の影がちらつくものの、そこで行われるアクションや改善は、自分都合のものです。
主語が提供者になってしまうと、実態の伴わない「品質」の改善に走りがちです。
例えば商談スキルとか、コンテンツのクオリティとかを、「私の価値観で」シコシコと改修するというアクションの実行を繰り返します。
再提出したって、顧客を見ていないため、また「滑る」(反応がない)わけですが、それを「品質」を原因と捉え、再度「私の価値観で」改修する、、、という悪循環に陥ります。
彼らが改修している「品質」には顧客が介在していないため、まったくもって本質的な改善ではありません。
お笑いの例に立ち戻ると、
ここで実行されているのは、
「俺の面白いはお前の面白い」という傲慢な態度と、
伝わらなかった「俺の面白い」を俺の努力が足りないからだ、と言ってお客さんに背中を向けてさらなる見当違いのセンスを磨いていく、という悲しい行為です。
どうすればうまくいく?
では、顧客理解はどうすればうまくいくのでしょうか?
銀の弾丸はありません。
先程からお話しているように、
徹底的に顧客の反応から逆算した上で、「◯◯だから」の仮説を立てる、または反応と紐付いたヒアリングをして、「◯◯だから」を見つけに行く。
その上で、それを元に、発信物にFBをして、再度顧客に投げる。
この繰り返しの凡事徹底しかないと思っています。
再度お笑いの例に戻れば、「ネタ」は一発本番の勝負ではなく、お客さん、仲間内、スタッフへの披露とFBによって水準が上がっていきますし、
「滑らない話」だって、ほうぼう試して研ぎ澄まされたものを私達は見ています。
その上で、「勘所」は一定あると思っていて、勘所なので、感覚で書きますが、
- N=1を信じすぎない
- Nの数を増やした上で、仮説の公約数を多く持つ
- 仮説の束を掴んで、新たな顧客像の仮説をもつ
たくさん施策を試して、たくさん顧客の声を聞いて、その上で抽象化して、抽象化した因数同士を掛けたり足したりしましょう、という、、、まあ銀の弾丸はありません、という結論です。
ただし、反応から逆算して「◯◯だから」を掴みに行く、という視点の有無によってその弾丸は銀色に輝く可能性が上がると思っています。
顧客を主語にした上で、理解をしに行く。
これによって、あらゆるビジネス上の施策の成功可能性は圧倒的に引き上がると感じています。
余談のネタ作りプロセス
最後に、余談ですが、さわが実際に実施していた、ネタ作りのプロセスを記載しておきます。
1. 自分が面白いと思うアイディアを複数アウトプットする
2. それがお客さんにウケるかどうかを検討し、アイディアを厳選する
3. お客さんにウケるであろうものが見つかったら、台本を書く段階でそれを更にウケやすい形に調整する
4. 自分たちがやりたい表現に対してバランスが取れているかを調整する
5. 制約事項(主にネタ時間)に対して、2のアイディアがどうすれば最大化できるかを検討し、修正する
6. 実際に客前で試してみて、想定に対してどうだったのかを検証する
7. 結果に対して、5の制約込みで2が最大化させるために、修正する
どうでしょう。あなたのビジネスのお役に立ちそうでしょうか。
最後に
ここまで書いて気づきましたが、
要は、僕の顧客理解に関する限界は、上記までであるということだと思います。
まだまだ理解を深める必要がありそうですが、いまの思考が整理できて、限界が見えたことは収穫だと思っています。
また、一定お役立ちできるチップスは提供できたと感じています。
ご覧いただき、フィードバックなどいただけると嬉しいです
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