こんにちは、さわです。
記事をご覧いただき、ありがとうございます。
今回は、使ってみてめちゃくちゃ便利だったアウトライナーアプリケーションの「WorkFlowy」について書いていきます。
使い始めたきっかけ
アウトライナーアプリケーションに興味を持ち始めたのは、この記事に対する苦戦です。
とにかく書いても書いてもまとまらない。
構成を直しても直しても形にならない。
という状況が続いて、やめるという選択肢も勿論あったんですが、どうにもこだわってしまい、ずるずるとリライトを繰り返しては完成から遠のくという作業を数ヶ月続けていました。
そんな時、たまたま手にとったこの本
ここで激推されていたのが、workflowyでした。
使いはじめてどうなった?
自分が考えていることの射程が見えました。
顧客理解って、僕のような新米くんが何かを語れるほど浅い領域では、本当はないわけで、記事を作成しはじめてその底なし沼に気づいたんですが、それでもここまでは書けそうだ、がworkflowyを使うことで見えるようになりました。
もちろん記事を書き始める前に、論点と主張、その構成はある程度考えました。
それでも一向にまとまっていかない泥沼状態から、workflowyという外的な枷の中に言葉をはめ込むことで、自分が本当に見えていることのラインが、偏りとともに浮かび上がってきました。
要するに、いま考えていることの全体像が把握できるようになったわけです。
Workflowyを使う前に起こっていた事象は、話が大きく広がってしまったので、議論の幹、枝葉が無数にとっちらかっていました。
WorkFlowyを使って、このとっちらかりを、まずは一気にアウトプットしていきます。
このときのアウトプットは、基本的には短文でのアウトプットです。
こんな感じ
※画像挿入
短文でアウトプットしつつ、幹に紐づく枝は、ツリー状に紐付けていきます。
全体のいびつな大樹が見えるようになると、中枝Aに紐付いている小枝①が、中枝Bに紐付いているべきであることが見えてきます。
また、本題だと思っていた中枝Cは実は小枝xで、むしろ些事であってノイズであることが見えるようになりました。
きれいな大樹を予測して文章をまとめ始めまましたが、実はかなり捻じくれ曲がった木になっていたわけです。
木の全体像が把握できたので、それをまとめきるネクストアクションの方針が、些事につまずかずに検討できたのです。
本当の論点と主張が浮かび上がってきた、そんなイメージです。
どうまとめた?
ここからのやり方は多分何パターン化あると思うんですが、
僕のパターンは、
- 書けていない部分を補う
- 書けている部分を主題とし、書ききる
のどちらを選択するか、でした。
しかし、書いても書いても終わらない、という泥沼と、「顧客理解」という壮大なテーマの前に、実質選択肢は一つで、書けている部分を主題とし、書ききるとなりました。
まず、幹ー中枝ー小枝のイメージで、話のカテゴリーをまとめ直しました。
僕は前頭葉が弱いので、頭の中だけで情報をきれいに、MECEにすることができません。
Workflowyを使い、外側にアウトプットすることで、抱えている情報をまず見えるようにする。
見えた上で、その情報を並べていくということができました。
これによって、歪だった樹木が、それなりに真っ直ぐに立ち上がるようになりました。
今までも(そして今回も)手書きのノートを使ったり、その他テキストツールを利用したりして、言葉の総アウトプットー前頭葉のお掃除は実施していました。
一定整理が付き、まとまりを作ることはできていたのですが、あくまでも頭の整理で、文章としての整理とは遠いものでした。
WorkFlowyが良かったのは、頭をきれいにする作業と、文章構成の体裁を整えていく作業がイコールになっているところです。
紙のノートだと思考の整理や飛躍は起こりやすいですが、それを文章とするときに、再度加工が必要になります。
その加工の作業が入ることによって、ノイズが生まれ、ノイズが枝葉になり、まとまったと思っていた思考が、いざ文章としてみてみると、また不整合なものに戻っている、そんなことが多くありました。
WorkFlowyを使うことによって、その課題をクリアすることができました。
「自力」に頼らない
こんかいWorkFlowyを使ってみて改めて思ったのは、外的な枷に身を委ねてみることの有効性でした。
逆から見てみると、すべて自分でコントロールできるのである、という思想から遠ざかることの大切さと言い換えられるかもしれません。
自分が思考した言葉を、思考の通り形にするために、自分でコントロールするのだ、という思いを遠ざけることで、逆に形として体をなした、そんな実感があります。
かなりニュアンスの話になりますが、
自分の思考やそこから生み出される文章を1つ1つ自分の意思で捕まえて、それをアウトプットしようとするのではなく、捕えることを放棄して、身体に任せる、そんなイメージです。
捕まえきれない思考を、例えば紙のノートという物理的な成約のある媒体にまず書いてみる。
あるいは、今回紹介したWorkFlowyのフォーマットに沿って吐き出してみる。
全体像を掴むことを放棄した輪郭のない「思考」が、紙やシステムによる矯正(強制?)によって、何かしらの「形」になる。
その「形」は予期していたものかもしれないし、時にはまったく予期していないものだったりしますが、とにかく目の前に「形」としてある。
脳みそで抱えることをやめた、「形」がそこにあることが結構大切で、その「形」を踏まえてじゃあ次はどうするか?と脳みその空いたスペースで、また思考を始め、再度矯正にしたがって、「形」を吐き出す。
これを繰り返していくと、いずれ吐き出すものがなくなってきます。
そしてそれが今出せる最善であると開き直る
多分そこにあるのは、結構「わたし」からは遠ざかったものになっている。
その上で、意外な発見もあったりする。
自力は自力なんですが、全てを己の思考でねじ伏せるという気持ちではなく、強制力に身を任せることで、不要な拘りをもった「私」を越えられる、そんな実感を持っています。
「自力」を捨てて、私を克己する、いかに「人間」から離れられるか、が関心の中心だったりします。
※「人間」の定義ってなんなん?とかはあんま定まっていませんw
まとめ
話は少し脱線しましたが、
WorkFlowyは思考を整理して形にするのに最適なツールです。
今回は書いていませんが、思考と同様の整理の仕方でタスクを管理し、推進させるのにも向いています。
特に、個人的な感想にはなりますが、ぼんやりした思考を無理やり型に流し込むことで、形式化していくプロセスの変更はなじみが良かったです。
発散型の思考の人には、相性がいいアプリケーションだと思います(※1)
文章をまとめるという観点での記事でしたが、何かを「進める」という面で無くてはならないアプリケーションだと感じています。
無料版もありますし、色々活用方法の本も出ているようなので、ぜひ試してみてもらいたいです。
※1
発散型の思考に馴染みのない方も、発散的思考の体験が実感しやすいように感じました
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